• Jリーグ21年の歴史の中で、1993-1994年のヴェルディ川崎、2000-2001年の鹿島アントラーズ、2003-2004年の横浜F・マリノス、2007-2009年の鹿島アントラーズに続いて、サンフレッチェ広島が、2012-2013年と連覇を飾った。サンフレッチェ広島のキャプテンであり、エースストライカーである佐藤寿人選手の言葉の中に、連覇の要因を探した。


1982年3月12日生まれ 埼玉県出身
市原(現千葉)、C大阪、仙台を経て、2005年から広島でプレー。2013シーズンも、スペースへの飛び出しと抜群のシュートテクニックを武器にチームを連覇へと導いた。2013年シーズンには、10年連続二桁得点を記録。
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2012年シーズン、サンフレッチェ広島に移籍して8シーズン目となった佐藤寿人選手は「チームとして、個人としても待ち望んでいた」J1リーグ初優勝を飾った。「とにかく自分たちのやれるサッカーを続けていこうと無欲でシーズンに入っていく中で、徐々に優勝争いをした」と言う2012年シーズン。2013年シーズンは、ディフェンディングチャンピオンとして相手にもマークされる中で戦った一年となり、シーズン開始から4月末までは2013ACLがあり過密日程も加わった。

「序盤はすごく難しい試合が多かったですし、やっぱり広島対策をとってくるクラブが多くて。2012年シーズンは対戦相手が自分たちのやっているやり方を変えてまでもサンフレッチェの良さを消してくることはまずなかったので。2013年はまずサンフレッチェの良い部分を消そうという形でのシステム変更だったり、戦術だったり。そこを上回るのはすごく難しかったですね。それでも時間が経つにつれて少しずついい試合ができるようになりました」

2013年シーズンは、運動量が落ちるラスト15分の失点が減り、34試合で29失点とリーグ最少失点を記録。守備の強さを見せつけた一年となった。「広島対策をとられた分、攻撃で圧倒する試合は少なかったですが、逆に守備の部分が2012年以上にすごく安定しました。自分たちの攻撃に対応し、相手が守備を固めているところに闇雲に突っ込んでいっても難しいですし。そういう意味で、試合に入る時に守備への集中が例年以上にありました」

リーグ連覇は、1試合を残してホーム広島で優勝を決めた2012年とは違い、ラスト2試合で勝ち点5の差を逆転するという劇的なものだった。2013年シーズン、連覇を目指していたのかと聞くと、笑いながら「思ってないですよ」と即答。「もちろんしたいですけど、したいとできるは違いますし。この世界に長くいればいるほど、連覇がいかに難しいか知っていますし、自分たちの置かれている状況は自分たちが一番よく分かっています。ただ『去年がたまたま良かった』とは言われたくはなかったので、連覇するっていう思いよりも、優勝争いに絡む、優勝争いを2年続けてするっていうのが求められていたと思います。もちろんその上で自分自身も何かしらタイトルをとって、ユニフォームに2つ目の星をつけたいっていう思いでシーズンに入りました」

クラブワールドカップ2012を終えた2012年12月、これから世界と戦っていくための課題を尋ねると「完璧を求めると言うと大げさですが、それだけ高い質を求められていると感じました。いろんな選手と対戦し、状況判断が本当に早いなと感じることができたので、個人としてもチームとしても上積みしていきたいと感じました」と話した寿人選手。2013年シーズン、目立った補強はなく、主力選手の移籍もありましたが、その言葉通り、チームと個人の上積みでサンフレッチェ広島は連覇を成し遂げました。


チーム力アップについては、もちろん森保監督の手腕と、それを支える選手からの信頼感の厚さも見逃せない。2012年、ミハイロ・ペトロヴィッチ前監督(現・浦和レッズ監督)が築いた広島の組織的な攻撃サッカーを、クラブ生え抜きの森保一監督が引き継ぎ、更に攻守にわたってバランスのとれた新しい広島のサッカースタイルへと進化させた。「2012年、優勝という最高の結果を手に入れて、いかにチームとして一つになるかっていう大切さを学びました。あと、監督が『やれることをしっかりやっていこう』と常に言ってくれる人なんですよ。2013年は、優勝したベースの上に、さらにやり続けることで、それぞれの質を上げていこうっていう、継続していく進化を目指したトライができたんです。そういうベースがあったのが大きかったと思いますね」

「自力優勝はなかったので、普段通り臨めた」という2013年最終節の鹿島戦。「とにかく鹿島に勝つことだけに集中した」チームに、森保監督から選手たちの背中を押す言葉がかけられた。『鹿島は常勝軍団として、したたかさと勝ち方を知っていると言われてきたチーム。でも今のお前たちはその当時の鹿島のような力がある』と。その言葉に勇気付けられ、自信を持ってピッチへ向かった広島イレブン。「やっぱり鹿島が残してきたものは偉大でしたし、『今のお前たちは鹿島以上だ』ってすごい勇気を与えてくれたんで。天皇杯でも良い試合ができましたし(天皇杯4回戦@カシマ、3-1で広島が勝利)、自信を持たせてもらった中でゲームに入れたという感じでした」


サンフレッチェ広島のチームスローガンは、2012年が『団結』、2013年が『一丸』。スローガンそのままに、「全員が同じ目標に対して同じ方向を向いて一丸となって戦うことができた」と言う寿人選手。そんな広島らしいエピソードが、最終節の選手交代でもあった。途中交代してベンチに退いたキャプテンの佐藤寿人選手が、森保監督に現役引退を発表している中島浩司選手の交代出場を直訴したのだ。

「監督も言ってましたが、『本来だったらホーム最終戦で、プレーしている姿を家族に見せてあげたいと思っていた』のですが、(第33節の)湘南戦は1-0のままでゲームを決めることができなかったんです。そういう部分で交代が難しかったっていうのがあったと思います。鹿島戦で2点入って、もちろん相手が一人少なくなっていたので、僕とミキッチが交代して、選手交代の枠があと一つで。みんなの思いは『あとはナカジさんに出てもらう』っていう、それしかなかったので。ベンチにいる選手も自分のアップよりも、いかにナカジさんに出てもらうかっていう感じで。そういった声や様子は見て取れたので、監督とコーチングスタッフに「どうですかね?」と話しに行ったんです」

「もちろんピッチで試合は進んでいますし、まずは何より勝たないといけない。監督の考えや采配っていうのは一番だと思うんです。ただ、その次のいろんな思いっていうのは監督も一緒だったと思うので。うちもファン・ソッコ選手が退場になって余計に難しくしなった部分もあって。サッカーは10秒もあれば得点が入るスポーツですし、そういった意味ではすごく難しい判断だったと思います。監督は相当悩んでいたと思いますが、決断してくれました。最後ナカジさんのプレーが見れて、すごい嬉しかったですし、監督もコーチングスタッフもサブに控えている選手もピッチで戦っている選手もみんな思いは一緒でしたね」