1万人が平和を祈った「PEACE Match」

長崎市への原子爆弾投下から70年。ヒュンメルは、毎年哀悼の意を捧げてきたV・長崎とともに平和を祈念したユニフォームを作成。V・長崎は、原爆投下日の前日8月8日に行われたホーム札幌戦「PEACE Match」で平和祈念ユニフォームを着用して戦いました。

1945年8月9日を語り継ぐ一助として

原爆投下から70年が経過し、被爆者の高齢化により、歴史が受け継がれにくくなっていたり、原爆投下日が正しく答えられなくなっている状況(*注1)もあり、より広く、より若い層にも1945年8月9日を知ってほしいという思いで、8月のホームゲーム2試合限定で着用するユニフォームを作成。「祈り」をテーマにユニフォーム全体に祈りの折り鶴模様とその展開図をプリントし、「平和祈念像」のシルエットをデザインしました。

(*注1)2015年6月下旬実施のNHK世論調査(8月3日発表)では、7割の人が広島・長崎の原爆投下日を正確に答えられなかった。

PieceからPEACEへ

原爆投下日の前日に行われるということで、平和祈念ユニフォームの選手着用や販売の他にも、台所から日常の幸せを提案する「kuriya」を展開する長崎のLPガス会社チョープロがスポンサーとなり、試合開始前にPEACEの人文字を作りました。参加したのは、長崎県サッカー協会に所属する小中高のサッカー選手とその保護者、およびスタッフら約1300人。平和を思うひとりひとりの気持ちが世界平和につながるという考えで、「PieceからPEACEへ」をコンセプトに実施されました。

平和祈念ユニフォーム

試合は、アウェイのコンサドーレ札幌がボールを圧倒的に支配。シュート数20と長崎ゴールに迫りましたが、GK大久保択生選手が好セーブを連発。無失点試合を4試合連続に更新し、スコアレスドローとなりました。次節のアウェイ・ジェフユナイテッド千葉戦を経て、8/23(日)はホームでカマタマーレ讃岐戦。再びV・長崎イレブンは平和祈念ユニフォームをまとって戦います。

平和祈念ユニフォームについては、サポーターだけでなく、選手にも好評。DFの髙杉亮太選手は、「『平和記念像』や『折り鶴』など、長崎にマッチした絵柄もデザインされており、それを『長崎原爆の日』前日の試合で着用し、すごく重みを感じました」と話し、MFの石神直哉選手は、「長崎のシンボルといえる『平和記念像』がデザインされているだけに、恥ずかしいプレーはできないし、重みを感じましたね。8月23日のカマタマーレ讃岐戦では、勝利を届けられるように頑張りたいです」と語りました。

スタジアムで平和を祈る

長崎出身ではありませんが、長崎のチームの一員であり、その代表として責任を持ってプレーしたというMFの梶川諒太選手は「V・ファーレン長崎、サッカーを通して、一人でも多くの方々が平和に関心を持ってくれれば嬉しく思います」と平和祈念マッチが今後につながることを期待するコメントを寄せてくれました。

また、現役時代広島でもプレーし、地元長崎出身である高木琢也監督は、「たくさんのファン・サポーターの方が応援に駆けつけてくださり、非常に感謝しています。長崎にとって特別な一日である『8月9日』を前に、県民の皆さまに勝利を届けられなかったことは残念です。しかし、改めて今われわれがサッカーをできる環境、そして、皆さまに応援していただいている状況に感謝をしなければいけないなと感じることができた一日でした」と語りました。

この日、長崎県諫早市の長崎県立総合運動公園陸上競技場に詰めかけた観衆は今シーズン最高の1万184人。平和祈念式典より一日早く、1万人以上のサポーターとともにV・長崎とヒュンメルは平和を祈りました。

V・ファーレン長崎について

V・ファーレン長崎は、有明SCと国見FCが統合した有明SCを前身とし、2005年に現監督の高木琢也氏をテクニカル・アドバイザーに迎え、V・ファーレン長崎に改称。2009年より日本フットボールリーグ(JFL)で戦い、2012年にJFL初優勝。2013年シーズンよりJ2で戦う。2015年シーズンはチーム10周年を迎える。V・ファーレンのVは、ポルトガル語で勝利を意味するVITO'RIA(ヴィトーリア)とオランダ語で平和を意味するVREDE(ブレーダ)の頭文字。それに航海を意味するオランダ語VAREN(ファーレン)を合わせた造語。日本初の国際貿易港である長崎から平和への発信と、県民の夢と希望を乗せ、勝利への航海を意味します。

【OFFICIAL SITE】http://www.v-varen.com/

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長崎市への原子爆弾投下から70年。ヒュンメルは、毎年哀悼の意を捧げてきたV・長崎とともに平和を祈念したユニフォームを作成。V・長崎は、原爆投下日の前日8月8日に行われたホーム札幌戦「PEACE Match」で平和祈念ユニフォームを着用して戦いました。


1945年8月9日を語り継ぐ一助として

原爆投下から70年が経過し、被爆者の高齢化により、歴史が受け継がれにくくなっていたり、原爆投下日が正しく答えられなくなっている状況(*注1)もあり、より広く、より若い層にも1945年8月9日を知ってほしいという思いで、8月のホームゲーム2試合限定で着用するユニフォームを作成。「祈り」をテーマにユニフォーム全体に祈りの折り鶴模様とその展開図をプリントし、「平和祈念像」のシルエットをデザインしました。


(*注1)2015年6月下旬実施のNHK世論調査(8月3日発表)では、7割の人が広島・長崎の原爆投下日を正確に答えられなかった。

PieceからPEACEへ

原爆投下日の前日に行われるということで、平和祈念ユニフォームの選手着用や販売の他にも、台所から日常の幸せを提案する「kuriya」を展開する長崎のLPガス会社チョープロがスポンサーとなり、試合開始前にPEACEの人文字を作りました。参加したのは、長崎県サッカー協会に所属する小中高のサッカー選手とその保護者、およびスタッフら約1300人。平和を思うひとりひとりの気持ちが世界平和につながるという考えで、「PieceからPEACEへ」をコンセプトに実施されました。

平和祈念ユニフォーム

試合は、アウェイのコンサドーレ札幌がボールを圧倒的に支配。シュート数20と長崎ゴールに迫りましたが、GK大久保択生選手が好セーブを連発。無失点試合を4試合連続に更新し、スコアレスドローとなりました。次節のアウェイ・ジェフユナイテッド千葉戦を経て、8/23(日)はホームでカマタマーレ讃岐戦。再びV・長崎イレブンは平和祈念ユニフォームをまとって戦います。

平和祈念ユニフォームについては、サポーターだけでなく、選手にも好評。DFの髙杉亮太選手は、「『平和記念像』や『折り鶴』など、長崎にマッチした絵柄もデザインされており、それを『長崎原爆の日』前日の試合で着用し、すごく重みを感じました」と話し、MFの石神直哉選手は、「長崎のシンボルといえる『平和記念像』がデザインされているだけに、恥ずかしいプレーはできないし、重みを感じましたね。8月23日のカマタマーレ讃岐戦では、勝利を届けられるように頑張りたいです」と語りました。

スタジアムで平和を祈る

長崎出身ではありませんが、長崎のチームの一員であり、その代表として責任を持ってプレーしたというMFの梶川諒太選手は「V・ファーレン長崎、サッカーを通して、一人でも多くの方々が平和に関心を持ってくれれば嬉しく思います」と平和祈念マッチが今後につながることを期待するコメントを寄せてくれました。

また、現役時代広島でもプレーし、地元長崎出身である高木琢也監督は、「たくさんのファン・サポーターの方が応援に駆けつけてくださり、非常に感謝しています。長崎にとって特別な一日である『8月9日』を前に、県民の皆さまに勝利を届けられなかったことは残念です。しかし、改めて今われわれがサッカーをできる環境、そして、皆さまに応援していただいている状況に感謝をしなければいけないなと感じることができた一日でした」と語りました。

この日、長崎県諫早市の長崎県立総合運動公園陸上競技場に詰めかけた観衆は今シーズン最高の1万184人。平和祈念式典より一日早く、1万人以上のサポーターとともにV・長崎とヒュンメルは平和を祈りました。



V・ファーレン長崎について

V・ファーレン長崎は、有明SCと国見FCが統合した有明SCを前身とし、2005年に現監督の高木琢也氏をテクニカル・アドバイザーに迎え、V・ファーレン長崎に改称。2009年より日本フットボールリーグ(JFL)で戦い、2012年にJFL初優勝。2013年シーズンよりJ2で戦う。2015年シーズンはチーム10周年を迎える。V・ファーレンのVは、ポルトガル語で勝利を意味するVITO'RIA(ヴィトーリア)とオランダ語で平和を意味するVREDE(ブレーダ)の頭文字。それに航海を意味するオランダ語VAREN(ファーレン)を合わせた造語。日本初の国際貿易港である長崎から平和への発信と、県民の夢と希望を乗せ、勝利への航海を意味します。
【OFFICIAL SITE】http://www.v-varen.com/

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