震災から10年、「当たり前ではない今に感謝」

2011年3月11日。いつもと変わらないはずの日常が、永遠に失われることになったあの日から10年の月日が流れた。東日本大震災と福島第一原子力発電所事故。被災地をホームタウンとするクラブとして、福島ユナイテッドFCは、福島にできることはないかを考えてきた10年になった。

原発事故に伴う福島県産品への風評の払しょく

福島ユナイテッドFCは、チームが体現する価値のひとつとして、「原発事故に伴う福島県産品への風評の払しょく」を掲げる。2013年より、AWAYの試合会場で福島県観光のPRを行ない、翌年より福島県産の野菜や加工品をチームで仕入れ、販売する『ふくしマルシェ』を開始。また、選手やスタッフが農園に出かけ、特産品の桃やりんご、お米などを生育し、販売も手掛けている。

2021年シーズン、時崎悠氏が8シーズンぶりに監督に復帰。ヒュンメルとしては、JFL時代の2013年に初めてインタビューを実施。時崎監督の「震災後すぐにボランティア活動を始めたチームが、色んな葛藤がありながら、サッカーで福島の人たちのためになれることを行ってきた」と語った言葉の重みが強く印象に残っている。

「震災から10年という節目の年にまた監督として戻ってきたことで、当時を知る身だからこそ、クラブや福島のことを選手たちに伝えられるものがあると思います。クラブが取り組んでいる農業や地域貢献活動に自ら積極的に関わっていくことで、選手に感じてもらうことができますし、対外的にも風評の払しょくや今の福島を発信していくことができると思います」と、監督自ら率先して行動していくという。

福島ユナイテッドFCのユニフォームをまとう責任と誇り

2011年のJFLで戦う福島ユナイテッドFCとは、選手も大きく変わった。今シーズン加入した遊佐克美選手は、福島県福島市出身。この10年、パラグアイやインドでプレーしてきたキャリアを持つ。「震災から10年の年に自分が育った街のクラブ、福島ユナイテッドFCでプレーすることになり、何か運命的なものを感じます。これまで色々大変な状況の中でも、今まで福島ユナイテッドFCのために戦ってくださったみなさんのおかげで、今私はこのユニフォームに袖を通すことができます。その責任と誇りを胸に覚悟を持ってプレーしたいと思っています」と襟を正す。

吉永大志選手は、震災発生時に、中高一貫でトップ選手を育成する「JFAアカデミー福島」に所属していた。地元の中学に通い、Jヴィレッジでプレーしていたが、東京電力福島第1原発事故の対応拠点となったため、福島を去ることに。当時中学2年生だった少年は、2019年、プロになって福島に帰ってきた。

2年目の昨シーズンは出場機会が増え、チャンスメイクもできるサイドハーフとして活躍。「福島は自分のサッカー人生にとって故郷であり、大事な場所。そういった場所でプロサッカー選手として戻ってこられて、本当に感謝の気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいです。自分もあの震災を経験しているので、今サッカーができる喜びを感じて、福島の人、ファン・サポーターの方々に希望や勇気、夢を与えられるように全力でプレーします」と若い力を感じさせる。

当たり前ではない今に感謝

震災当時にクラブに在籍していた現役選手は岡田亮太選手だけとなった。「本当にたくさんの人たちの支えがあり、ここまでくることができました。そういった人たちの想いや期待に応えたい、そして少しでも福島の力になりたいという想いはずっと持っています」とこの10年を振り返る。

昨シーズンは、コロナ禍によるホームゲーム入場者の制限や社会情勢の悪化によるスポンサーの撤退など、クラブに運営危機が訪れた。そんな中、いもくり佐太郎がチャリティシャツを発売したり、ヒュンメルでもアマビエユニフォームの収益を寄付するなど、様々な形でクラブをサポートする試みがあった。そして、昨秋にはクラブが初めて実施したクラウドファウンディングで、621名から1,100万円を超える支援が集まった。

今シーズンのチームスローガンは、「ONE UNITED -to the next stage-」。東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から10年の今こそ、”ひとつ”になって福島を元気にという意志が込められている。そのスローガンは、震災当時からクラブを知る岡田選手の言葉に集約される。「チームメイトのみんなには、サッカーができることが当たり前ではないし、たくさんの人たちの想いがあり、福島ユナイテッドはここまでこられたので、感謝の気持ちを忘れずにプレーしてほしいですし、僕自身もそういう気持ちを持って戦いたいと思います」

福島ユナイテッドFCについて

福島県福島市・会津若松市を中心とする全県をホームタウンにしたJ3に所属するサッカーチーム。UNITEDとは、「結ばれた、団結した」の意味で、チームや選手、スタッフ、サポーターが”ひとつ”になり、福島が”ひとつ”になり、発展していくことを目指す。2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第一原発事故に伴う福島県産品への風評の払しょくに繋げようという想いで発表してきた桃ユニや米ユニ、選手自ら農作物に従事する福島ユナイテッドFC農業部の活動でも知られる。

【OFFICIAL SITE】http://fufc.jp/

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