長崎原爆資料館に平和祈念ユニを寄贈

被爆70年となる2015年より、ヒュンメルとV・ファーレン長崎は、平和祈念ユニフォームを発表し、平和の尊さを訴えてきました。平和祈念ユニフォーム5年目となる今年は、鹿山拓真、江川湧清、古賀貴大の3選手と松田浩育成部長が長崎原爆資料館を訪問。ユニフォームシャツや千羽鶴などを寄贈しました。

長崎原爆資料館に平和祈念ユニを寄贈

平和祈念ユニフォームは、7月から8月のホームゲーム5試合とアウェイゲーム2試合の合計7試合で着用。8月11日に行われたAWAYのFC琉球戦は、平和祈念マッチと銘打ち、試合前のセレモニーで着用。セレモニーを含む8試合で、延べ55,000名を超える観客が、平和祈念ユニフォームを目にすることになりました。

長崎原爆資料館を訪れた選手たちは、今年の平和祈念ユニフォームと千羽鶴、そして平和祈念ユニフォーム着用マッチのホームゲーム前のセレモニーで行ってきた平和宣言を額に入れて大久保一哉館長に手渡しました。

5試合の平和宣言は、 髙杉亮太選手や玉田圭司選手ら、5名の選手が自分の言葉で語りかけるように宣言したもの。8月4日の26節FC岐阜戦の前には、地元出身の徳永悠平選手が、「ナガサキの地に生まれ、ナガサキの地に育ったひとりとして、永遠に続く平和への願いをこの平和祈念ユニフォームを着て、一生懸命プレーすることで、皆さんとともにナガサキから世界に発信します」と力強く語りました。

未来の子どもたちのための平和

この夏、広島で行われたユース世代同士のピースマッチに、V・ファーレン長崎のU-18チームが参加し、オリジナルのピースユニフォームを着用しました。そのピースユニフォームを寄贈するために、育成部の松田部長が来館。広島と長崎の平和の象徴である原爆ドームと平和祈念像をデザインしたユニフォームを寄贈しました。

「この夏のピースマッチでは、被爆地である広島と長崎の若者が、ボールを通してフェアに競い合い、平和への想いを持ちながらプレーしました。選手たちは、好きなサッカーができることや平和な日常について改めて理解し、気づきがあったといいます。アカデミーもトップチーム同様、クラブの一環として責任を持って平和の発信を行なっていきます」と話しました。

寄贈を受けた長崎原爆資料館の大久保館長は、「今年は(2018年にはJ1で行われたサンフレッチェ)広島とのピースマッチはできませんでしたが、沖縄との平和祈念マッチがあり、広がりがありました。スポーツを通じて平和を祈るのは、何も広島や長崎だけではなく、サッカーができる平和を発信するのは誰もができること。平和というのは、自分たちだけのことではなく、未来の子どもたちのためでもあるのです」と語りました。

サイレンが鳴らない当たり前

長崎県出身で被爆3世という鹿山選手は、「大学で初めて県外に出て、8月9日に原爆が落ちたことを知らない人がいたり、8月9日の11時2分にサイレンが鳴らないことに衝撃を受けました。選手としては、ピッチで正々堂々、精一杯プレーすることが、平和に繋がると思っています。また、V・ファーレン長崎は、平和へのメッセージを発信しています。未来に繋げるためにも、もっと学び、知ることで、より平和の尊さを伝えられるようにしていきたいと思います」と話しました。

原爆資料館の展示物の中に、被爆者の背中をカラー写真で撮った『赤い背中』という一枚があります。被爆直後に撮ったカラー写真は珍しく、原子爆弾の悲惨さを今に伝える写真として知られています。会見後、資料館を見学する鹿山選手にその写真について話をすると、「谷口さんですよね」と名前も知っている様子。

2016年から2017年にかけて、ヒュンメルが、被爆者の故・谷口稜曄氏と平和を発信するスニーカーを発表し、その収益で平和講演会を開催したことを紹介すると、「長崎でもやっぱり、平和への意識が低くなるときがあります。8月は9日はもちろん、6日、15日と平和について考えるきっかけとなる日があります。そういう時期は必要なんですが、一年を通してそうした活動ができればいいですよね」と今感じている課題を教えてくれました。

ヒュンメルは、”Change the World Through Sport”(スポーツを通して世界を変える)をブランドミッションとしており、日本でも平和祈念ユニフォームをはじめとし、スポーツを通した平和発信を行なってきました。今後もデンマーク本社とも連携した活動を実施していきます。

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