ジェフユナイテッド市原・千葉 佐藤寿人選手 「常に自然体でいるメンタリティ」

2019年シーズンのJリーグが佳境を迎えた11月、ジェフユナイテッド市原・千葉のクラブハウスに、佐藤寿人選手を訪ねた。来シーズン着用予定のスパイクを持参し、リクエストをもらうとともに、シーズン終了前ながら、18年ぶりに古巣ジェフで過ごしたシーズンについて話を聞いた。

18年ぶりのジェフ復帰

佐藤寿人選手は、双子の兄・佐藤勇人選手とともに、ジュニアユース時代からジェフで学び、2000年に兄弟でトップチームに昇格し、プロデビューを飾った。出場機会を求めて、2002年にセレッソ大阪(当時J2)、2003年にはベガルタ仙台(当時J1)へ移籍した。佐藤寿人選手は、3チーム目になる仙台で飛躍。全30試合に出場し、9得点を記録した。

その後、2005年よりサンフレッチェ広島、2017年には名古屋グランパスエイトを経て、2019年に古巣ジェフに戻ってきた。入団のコメントでは、「クラブを長年引っ張っている兄の勇人の存在は、自分にとっても特別です。勇人と一緒にJ1の舞台へ。自分自身、ジェフと離れている時間が長い分、まずは皆さんに認めてもらえる結果を出していけるよう、覚悟を決めて戦いたいと思います」と語っていた。

今シーズン、チームは低迷し、佐藤寿人選手も20試合で2ゴール。プレータイムも540分ほど(11/16、41節終了時点)と出場機会は限られ、思ったような結果を残すことはできなかった。そして、兄・勇人選手は引退を決断し、残り6試合というタイミングで引退の記者会見を行った。

J1に対する責任感

佐藤勇人選手が古巣ジェフをJ1に昇格させたいと、京都パープルサンガから戻ったのが2010年シーズン。それから10シーズン、昇格を目前にしたこともあったが、夢はかなわないまま、今シーズンも昇格プレーオフに出られない結果となった。

「J2に落ちて10年、ずっと辿り着けない。兄1人の想いじゃ足りないんだと思います。僕も、仙台では降格を経験し、昇格させられないまま移籍しましたし、広島では降格も昇格も経験した。名古屋ではJ2に降格したチームに入って、1年で復帰できた。いろんな経験を積んできた中で思うのは、やっぱり降格してしまった経験をした選手が昇格させないといけないという気持ち。J1に対する責任感。それが一番の原動力になるんだと思います」

今シーズンの結果にはもちろん満足していない佐藤選手だが、「まず、ピッチの上」だと語る。「フォワードなのでゴールを奪うこと。ゴールで勝利に導くこと。ピッチで表現できるように、今シーズンもトレーニングは休んだことはない。年齢を重ねるにつれて、より負荷をかけたトレーニングをする必要も出てきていて、戦える準備はいつでもしています」と語る。

常に自然体でいるメンタリティ

2004年から12年連続2桁得点、J1通算161得点(歴代2位)、J1での2桁得点10度(歴代1位)など、ゴールでチームを引っ張ってきた佐藤選手は、サンフレッチェ広島時代の2012年、2013年、2015年の3度の優勝に貢献。特に初優勝となった2012年は、得点王、ベストイレブン、MVPに加え、フェアプレー個人賞も受賞し、史上初の個人タイトル4冠を獲得した。

「プロでもサッカーをやってきた環境はそれぞれ。その中で、意見のぶつかりあいがありながら、チームでベクトルを合わせて、同じものの見方をする必要がある。サンフレッチェで初優勝した時は、優勝への想いがチームで感じられ、監督やコーチ、フィジカル、フロント、サポーターも含めて、日々関わるいろんな力が同じ方向に向かっていった。試合の結果がどうあれ、常に次の準備、次の準備の繰り返しで、次に目を向けていくこと。そうしたことが、個人だけでなく、組織でやれた。それぞれが自らの持ち場で最高の結果が出るように頑張ったとしても、最高の結果が出るとは限らない。でも、それがないと最高の結果が出ることはないんだと思います」と、広島時代を振り返った。

「今はサッカーも変わってきているし、選手が同じクラブに居続けることはほぼない。でも、クラブは半永久的に続いていく。そんな中で、選手としてそのクラブに歴史を残すことができる。今、広島は離れているけど、ユニフォームに星をつけるというのは、やはり特別なことで、クラブの歴史をつくる一員になれたんだと感じています」

そうした数々のタイトルやまたJ2降格などに代表される挫折も、すべて個人で負うものではないと語る。「試合結果に一喜一憂することもないし、ミスがあっても、必要以上にネガティブになることもない。ペトロヴィッチ(現・北海道コンサドーレ札幌監督)が負けた時に、『これが最後の負けじゃない。気にすることはない』と言われたことがあって、常に自然体でいるメンタリティを学びました」と、今シーズンのJ1昇格の目標は叶わなかったが、佐藤選手は、来シーズンに繋がるプレーを、今できることを常に探している。

2020年着用スパイク「ヴォラートPRO」

佐藤寿人選手が、広島に移籍した2005年シーズンの途中より多くのゴールをともにしてきたヒュンメルのスパイク。2020年シーズンは、トップモデルのヴォラートPROを着用、カラーは目を引くゴールド(2019年12月中旬発売予定)になる。「この色は、インパクトありますね。スタンドから見つけやすくていいかな、と思います。ヒュンメルで気に入っているのはフィット感。やっぱりスパイクはフィット感が一番大事なんですよね。足入れの時の感じ。フィーリングのようなものなのですが、僕のもともと持っている足の形に、このモデルの足型があっているように感じています」と語る。

佐藤選手が着用するヴォラートPROは、しなやかで履くたびに足にフィットするカンガルーレザーを採用したトップモデル。ただ、カンガルーだけでは伸びすぎてしまうため、人工皮革を掛け合わせて伸びを抑制し、特に磨耗や伸びが激しくなるつま先部分に加工を施し、フィット感と耐久性をアップしている。

佐藤選手は、来シーズン、プロになって21年目を迎える。大きなケガはないが、常にベストな状態でい続けられるわけではない。「今は、高校生でも足首にテーピングをしたり、ストッキングだけでスパイクを着用してプレーすることってなかなかないと思うんです。テーピングで細かい隙間ができた時は、紐のテンションで調整して、最適なフィット感でプレーしています」と、スパイクを生かすための工夫も教えてくれた。

来シーズン、ラッキーカラーと話していたゴールドのスパイクを履き、勝利に繋がるゴールを決め、コーナーフラッグを持つパフォーマンスをする姿が、今から待ち遠しく感じられた。

佐藤寿人


1982年3月12日生まれ 埼玉県出身
市原(現千葉)、C大阪、仙台、広島、名古屋を経て、2019年から古巣であるジェフユナイテッド市原・千葉でプレー。スペースへの飛び出しとシュートテクニックを武器にする生粋のストライカー。サンフレッチェ広島で初優勝を飾った2012年シーズンは、得点王、ベストイレブン、MVPに加え、フェアプレー個人賞も受賞し、史上初の個人タイトル4冠を獲得。J1通算161得点、J2通算57得点(2019年11月16日時点)。

【佐藤寿人 Official Site】https://www.hisato-sato.net/

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