HUMMEL IN FUTURE

3/18(水)、デンマークのヒュンメルインターナショナル本社よりオーナーのクリスチャン・スタディールが来日。(株)エスエスケイ代表取締役社長・佐々木恭一とともに、ヒュンメルが今後世界でどのように展開していくかについて発表会を開催しました。また、発表後にはアンプティサッカーの体験会も実施。昨年10月よりヒュンメルがサポートしているクラブチーム「関西セッチエストレーラス」と、現役のFリーガー達のエキシビジョンマッチを行いました。


ヒュンメルインターナショナル・オーナー
クリスチャン・スタディール

1971年生まれ。1999年、ヒュンメルファッションを立ち上げ、ブランドイメージを一新。ヒュンメルインターナショナル社のオーナーであり、その親会社株式会社THORNICO(トルニコ)の取締役として海運・食品・科学技術などに携わる。2004年、「スカンジナビアで最も注目されたビジネスマン」の一人に選ばれた。著書に「デンマークに学ぶ発想力の鍛え方」(共著・2014年・クロスメディア・パブリッシング)がある。

株式会社エスエスケイ 代表取締役社長 佐々木 恭一

1956年生まれ。1979年佐々木株式会社(現・株式会社エスエスケイ)入社。ロサンゼルス勤務の後、副社長を経て1990年に社長就任。以後、自社商品の展開に加え、代理店業としてスポーツ卸No.1、スポーツシューズ卸No.1を獲得。スポーツライフスタイル全般をサポートする企業を目指している。

ヒュンメルインターナショナル・オーナー クリスチャン・スタディール

今日はヒュンメルJAPANの25年の歴史の中で最も重要な日になります。そして、お祝いの日であり、私たちヒュンメルにとってかけがえのない日です。日本という市場でヒュンメルをさらに広げていくために、私がカギを渡す日です。ヒュンメルブランドは言わば、私たちの赤ちゃんです。そして、エスエスケイはすばらしい保護者です。長年にわたってそれがしっかりと実証されてきました。私はこのカギを佐々木社長、そしてヒュンメルJAPANのチームの皆さんにお渡しします。

エスエスケイとパートナーとなって以来25年間、私は毎年日本に来ています。私自ら日本に来るほど、私は日本が好きですし、日本は重要な国なのです。日本とデンマークには多くの共通点があります。この2つの国には最高レベルの天然資源が存在しません。そのために、この先、しっかり生き延びるために「イノベーション」と「クリエイティビティ」が必要です。今までは私が少しずつヨーロッパに日本の良さを伝えてきましたが、今日は私と共に来日した12名のヨーロッパのジャーナリストに日本の良さ、そしてエスエスケイのことを知っていただきたいと思います。

ヒュンメルは1923年に誕生した世界で最も古いスポーツブランドの一つです。世界で初めてスタッド付きスパイクを開発し、創設以来フットウェアを作り続けてきました。そして、1980年代には、ヨーロッパ最大のサッカーブランドの一つへと大きく成長しました。1986/87シーズンからレアル・マドリードのサポートをスタートさせました。また、日本でのヒュンメルのインパクトは1991年のレッドスター・ベオグラードのトヨタカップ優勝から始まったのではないかと思います。その翌年には、ヒュンメルがサポートしていたデンマーク代表がユーロ92で優勝。人口560万ほどの小国ながら、ワールドカップでは常連国となり、サッカーファンの心を捉えてきました。

その後1999年、現在の親会社であるトルニコ社がヒュンメルを買収。ヒュンメル単体ではなし得なかったことが、これをきっかけにできるようになりました。マーケティング、ブランディングをこれまでと違う形で展開することになり、そしてファッションブランドとしてもリブランディングさせました。この頃からハリウッドスターなどセレブ達から注目されるようになったのです。



Change the World Through Sportについて

ヒュンメルの掲げるミッションは「Change the World Through Sport」ですが、ここでアフガニスタンのことを紹介させていただきます。2010年の夏、ヒュンメルで取締役会が行われている時のことでした。アフガニスタンから電話がかかっているという報告がありました。その時は誰もアフガニスタンのチームをサポートしようとは思っていませんでした。しかし、私は役員会の議事をストップさせ、チームマーケティングオフィサーと話し合うことになったのです。そして、すぐにアフガニスタンナショナルチームのことを調べました。すると、あの悲惨な映像が出てきたのです。

アフガニスタンでは、女性にはほんの最近まで(1996年から2001年のタリバン政権下)参政権や教育を受ける権利が与えられず、スポーツをすると終身刑の罪に問われる可能性までありました。その事実が分かった瞬間に、私はアフガニスタンナショナルサッカー連盟と契約を決めたのです。

契約を結んで最初に行ったのは、2010年にアフガニスタン女子代表とNATO兵による親善試合でした。そしてこれが、スポーツを通して世界が変わるのだとまさに実感した瞬間でした。このチームをサポートすること、この試合ができたことでブランドのポジショニングが確立でき、ヒュンメルは他ブランドと差別化できました。またこの時、当時のアメリカ合衆国・国務長官とアフガニスタン・外務大臣がサッカーをするという歴史的出来事を演出できたのです。そして2013年、アフガニスタンサッカー連盟がFIFAフェアプレー賞を獲得しました。哲学、ビジョン、そして夢。スポーツを通して世界を変えるというミッションが実現したのです。

今紹介させて頂いたアフガニスタンなどユニークなサポート活動で、日本でもヒュンメルファンが増えてきたかと思います。そして今後目指していくのは、ブランドの拡大はもちろんですが、ヒュンメルインターナショナル社とエスエスケイが一体となり、ヒュンメルのブランドミッション『Change the World Through Sport』を実現することにあります。私はエスエスケイを、佐々木社長を信頼しています。その信頼する佐々木社長に今からカギをお渡しします。





株式会社エスエスケイ 代表取締役社長 佐々木 恭一

エスエスケイがヒュンメルと総代理店契約を締結したのは1991年、今から24年前のことになります。デンマークのサッカーブランドとして年々人気を高め、2013年には、エスエスケイがヒュンメルの日本での商標権を取得。ヒュンメルブランドの売上としては、デンマーク、ドイツに次ぐ3番手でありながら、私たちエスエスケイは、ヒュンメルの世界で唯一のグローバルパートナーとなりました。ここ数年、スポーツのマーケットは不況の影響や少子高齢化による社会状況の変化で、全体的に下降気味ではありましたが、おかげさまでヒュンメルは過去5年、大きく成長することができました。

これからの道のりについては3つの実施していく課題があります。1つは、日本のビジネスの中心となっているアスレチックカテゴリーの強化です。ヒュンメルは、日本ではサッカーやハンドボールのアスチックブランドとして認知されています。それら競技スポーツに加え、成長分野としてウイメンズやトレーニングを強化し、シェアアップを図ります。

ライフスタイルビジネスの強化

次に、ライフスタイルシューズの強化。日本でも直近の2年で150%アップと成長しています。さらにここを伸ばしていくために、まず日本からグローバルモデルの発信をしていく、ということがあります。2つ目のポイントは、ヒュンメルが世界5都市で展開するコラボモデルを東京から発信することになります。この春、スニーカーショップ「アトモス」とのコラボモデルが発売開始となります。そして、ライフスタイルシューズ最後のポイントは、セレクトショップ運営によるPRと販売、市場リサーチです。今年2月に東京原宿にOPENしたシューズセレクトショップ「S-RUSH」は今後、採算性や有効性を見極めながら、多店舗展開へと繋げていけたらと考えています。

ライフスタイルを成功させるためには、シューズだけでなく、まだまだシェアの低いライフスタイルアパレルの打ち出しも必要となります。2012年秋冬シーズンからスタートしたヒュンメルと日本人クリエイターとのコラボした「ヒュンメルJ」を2016年春夏シーズンから再デビューさせ、セレクトショップでの限定発売を計画しています。

ライフスタイルシューズで3つ、アパレルで1つのポイントを紹介させていただきましたが、これらを上手く組み合わせ、ヒュンメルインターナショナル社と協同することで、シューズでライフスタイルの基盤を築き、近い将来、アパレルやアクセサリーを含めたライフスタイルビジネスをアスレビジネスに並ぶヒュンメルブランドの両輪にしたいと考えています。

Change the World Through Sportの実現

ヒュンメルのこれからとしてブランドの拡大とともに、ミッションの実現を行っていきます。ヒュンメルの掲げる「Change the World Through Sport」ですが、これを日本でも踏襲、実現していきます。スポーツを通して世界を変える、という一見壮大なミッションですが、私たちエスエスケイも、おそらく皆さん同様「スポーツには人を勇気づけ、前に進ませてくれる力がある」と考えていますし、これは私どもの企業理念とも一致するところです。

現在、サポートするチームや選手とのつながりから、子どもたちや地域の活性化を図っていくことができればと思っています。また、我々は昨年から病気や事故で手足を失った人が松葉杖をついて行うアンプティサッカーのサポートを少し始めました。私も一度、チームとご一緒させてもらい、ボールを蹴ったのですが、アンプティサッカーは、障がい者スポーツのサポートやマイノリティの支援というようなものではなく、より純粋に、より強くスポーツの持つ力を感じさせてくれる素晴らしい競技だと思っています。まずは関西セッチエストレーラスという一チームのサポートです。これを契機にスポーツの持つ力を広げ、我が友クリスチャンと、世界を変える一石を投じていきたいと思っています。

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