黒田博樹40歳「常にチャレンジ」。

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黒田博樹40歳、いまだ進化中。24年ぶりVへ「常にチャレンジ」。

今シーズン日本球界に復帰した広島東洋カープ黒田博樹投手。米大リーグで5年連続2ケタ勝利を記録し、昨オフには巨額のオファーを断り、古巣広島への復帰を決断した。2月の入団会見から1か月半。8年ぶりに迎える日本でのシーズンが幕をあけようとしている。背番号「15」は1球の重みを感じながらマウンドに立つ覚悟だ。

「最後の1球」はカープのユニフォームで

2008年、FA(フリーエージェント制度)で米大リーグへ挑戦。ロサンゼルス・ドジャースで4年、ニューヨーク・ヤンキースで3年、計7年で212試合に登板し、メジャー通算成績79勝79敗。1300イニング以上を投げ、2010年から5年連続2ケタ勝利を挙げた黒田投手は、メジャー複数球団からの巨額オファーを断って、日本球界の古巣広島東洋カープ復帰を決めた。

「いつ最後の1球、最後の登板になってもいいという気持ちで今まで野球をやってきた。その1球のためにどれだけ気持ちをこめて投げられるかを考えた時、カープのユニフォームを来て投げた方が、最後の1球になったとしても後悔は少ないんじゃないかと判断しました」

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日本球界復帰後、新球「カーブ」習得にチャレンジ

「常に何かにチャレンジしてきた」という黒田投手にとって、日本球界復帰後の新たな挑戦は「カーブ」を習得することだ。日本の統一球の革質や縫い目の高さを活かせる球種。米国ではキャンプ中の投げ込みが30から40球に制限されていたが、その球数制限を解除し、キャッチボールのときから握りを確認した。ブルペンでも積極的に投げ込み、使えるめどが立った。

そんな黒田投手、実は上宮高校時代は甲子園出場を果たすことなく、3年間を補欠として過ごした。その挫折を経て、専修大学ではエースに成長する。大学時代の黒田投手を知るSSK担当者は、「黒田さんは自身のかなわなかった『甲子園出場』をしたチームメイトに負けたくないという反骨心があって、その気持ちをバネにレベルアップしていった。すでにプロで活躍しそうな雰囲気を持っていました」と語る。

その後、1997年広島東洋カープにドラフト2位で入団した時から、SSKを自身の相棒に選んだ黒田投手。日本球界で11年、メジャーで7年を経験して迎える19年目の今シーズンも相棒として「SSK」を選び、ファンのため、24年ぶりのチーム優勝に向けて、広島ファンとチームへの感謝の気持ちで1球1球投げ込んでいく。

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いつ終わっても後悔しない覚悟、新たな黒田伝説の始まり

古巣復帰後の初登板は3月8日、対ヤクルト戦。オープン戦では異例の2万2942人がマツダスタジアムに詰めかけた。注目された凱旋登板では4回1/3を打者13人、39球、無安打無失点の完全投球を見せ、ファンを魅了した。打者の手元で動くツーシームやカットボールを内外角、高低に投げ込み、さらに変化の大きいスライダーやスプリットを織り交ぜ手玉に取った。「ファンの声援を受け、気持ちよく投げられました」と、振り返る。

その後も順調に調整を進め、万全の状態で日本復帰登板を迎える。予想される舞台は、ヤクルトを本拠地マツダスタジアムに迎えて臨む開幕カード第3戦(3月29日)。日米通算200勝まであと18勝にせまる今シーズン、「いつ終わっても後悔しないように全力を尽くす」と語る黒田投手の新たな「黒田伝説」が始まろうとしている。

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黒田博樹(くろだ・ひろき)
1975年2月10日生まれ。大阪府出身。身長185cm、体重86kg。右投右打。投手。上宮高校から専修大学に進み、1996年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。入団1年目、対読売ジャイアンツ戦では初登板・初先発・初勝利・初完投を達成。2005年には15勝でセ・リーグ最多勝、2006年には1.85で最優秀防御率を獲得するなどエースとして活躍。2008年から米大リーグのロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースでプレー。2010年から5年連続2ケタ勝利を記録し、メジャーを代表する先発投手に。今シーズンから古巣広島東洋カープに復帰。