一歩踏み出す勇気を

ヒュンメルが昨年からサポートを始めたアンプティサッカーチーム「関西セッチエストレーラス」。病気や事故で手足をなくした選手たちが松葉杖をついてプレーするアンプティサッカーは、日本でスタートしてまだ5年ほど。関西セッチは、競技の普及もさることながら、同じような状況でふさぎ込んでいる人たちに一歩踏み出して欲しいと、学校や自治体などでの講演活動を積極的に行っている。今回、大学・小学校と異なる趣旨で行われた講演会に同行しました。




✳1 車椅子ツインバスケットボール https://jwtbf.com/

車椅子ツインバスケットボールは、下肢のみではなく、上肢にも障がいがある重度障がい者が参加できるように考案されたスポーツ。高さ3.05メートルのゴールに加え、フロアに高さ1.20メートルのゴールを設置。障がいの程度によりシュート方法やゴールまでの距離も異なるため、様々な選手が一緒にプレーすることが可能。それぞれが独自の役割を果たします。


✳2 ボッチャ https://japan-boccia.net

重度脳性麻痺者、もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたカーリングのようなスポーツでパラリンピックの正式種目。目標球となる白いボールに向かって6球を投じ、いかに近づけるかを競う。ボールを投げることができなくても、自分の意思を介助者(競技アシスタント)に伝えることができれば、ランプと呼ばれる傾斜のついた器具に転がすことで参加が可能。

PTを目指す大学生と学ぶ

まずは大阪府立大学で行われた理学療法士(運動療法や物理療法などを行う医学的リハビリテーションの専門職。Physical Therapistを略し、PTと呼ばれる)を目指す学生主催で開催された「障がい者スポーツ大会」。東京や広島の大学からの参加も含め11大学74名の学生が集まったこの大会。講義や競技の紹介の後、チームに分かれてアンプティサッカー、車椅子ツインバスケットボール(✳1)、ボッチャ(✳2)の3競技を体験しました。

このイベントを仕切った女子学生(3回生)は、「PTを目指す大学生でも、実際に障がい者スポーツを体験する機会が少なくって。アンプティみたいな比較的軽度の障がい者を対象としたものからボッチャのような重度のもの、また車椅子ツインバスケットと、特徴の異なるスポーツを複数体験してみることで、普段勉強していることがより生きてくると思うんです。アンプティは屋外でやるスポーツで、やりやすいですし、いいきっかけになると思います」と寒風が吹き続ける中、会場を走り回った。

日本ボッチャ協会理事長でもある大阪府立大学の奥田邦晴教授は、学生が作り上げたこの大会に目を細めた。「障がい者のスポーツは、もともとリハビリテーションの一環で始まったものなんです」と教えてくれた奥田教授。「重度の障がいを抱えていても、ボッチャをすればパラリンピック出場の可能性が開けます。人生変わりますよね。パラリンピックとまでは言わなくても、社会に出て行く大きなキッカケになるんですよね」

学生たちは楽しみながらも、自らの目指す専門職に手応えを感じたり、好奇心を刺激された様子。神戸の大学から参加した女子学生(2回生)は「障がい者スポーツにはもともと興味があって。実際に理学療法士がどんな風に関われるか知りたい」と関西セッチのトレーナーに積極的に話しかけ、広島から参加した男子学生(1回生)は「同じ仕事を目指す仲間に出会えて刺激的でした。障がい者スポーツも色んな方との交流も、いい体験になりました」と目を輝かせた。

1999年には「スポーツは障がい者の自己実現に役立ち、社会参加や自立支援につながる」という論文を発表している奥田教授。「スポーツは障がい者の社会参加や自立支援の一手段といって過言ではないのですが、これも一人で始められるものでもありません。それを支えるのが彼ら、PTなんです」と学生を見守る教授。スポーツの持つ「人を前向きにする力」「勇気づける力」を感じた一日となりました。



関西セッチェエストレーラス

関西セッチエストレーラスは、大阪、兵庫、三重など関西地方の選手が中心となって2012年に結成されたアンプティサッカーチーム。Sete Estrelasはポルトガル語で「7つ星」を意味。ピッチでプレーする7人の選手が、星のように輝き、勝ち星を上げられるように、という願いが込められています。2012年ロシアワールドカップで日本代表キャプテンを務めた川合裕人がチームを束ね、理学療法士や作業療法士、義肢装具士など多くの医療従事者がボランティアスタッフとしてサポート。日本アンプティサッカー界随一の結束力を誇ります。

【OFFICIAL SITE】https://www.sete-estrelas.com

小学生と多様性について考える

日にちを変えて、今度は小学6年生の授業に参加させてもらう。東大阪市の英田北(あかだきた)小学校では、障がい者スポーツを積極的に取り入れている。「いろんな人がいてるってことを実感してもらうために、 先日も障がい者水泳の選手に来ていただきました。関西セッチの皆さんに来ていただくのも今回で3回目。実際に体験することで偏見がなくなっていき、例えば体育が苦手な友達とも、どうやったら一緒に楽しめるかを考えるようになっていってもらいたいという思いがあります」と先生が教えてくれた。

まずは、体育館で選手たちとの対話形式の講演から。「どうやってケガから立ち直りましたか?」「アンプティサッカーをして変わったことはありますか?」など、事前にビデオを見て、クラスで考えた質問をぶつけていく。この日参加した選手は3名。代表の川合裕人さんは、現在48才。2012ロシア、2014メキシコと二度のW杯を戦ってきた日本アンプティサッカー界を代表する一人。仕事にアンプティサッカー、そしてこの日のような講演活動と精力的に動き続ける川合さんは、21才の時に事故で左足を失い、トラックドライバーの仕事も大好きなサッカーもできなくなった。

「立ち直るのに20年かかりました。ある日、テレビでアンプティを見て、『これや!』って思ったんです。当時はまだ関東にしかチームがなくって。毎週車で通って、今では関西にチームを作って。でも、アンプティを始めるまでは、障がい者って思われるのが嫌で。これはとても恥ずかしいことなんですが、僕自身、子どもの頃から障がい者の人たちを白い目で見てたんです。だから、事故の後は、僕は今そう思われてるんだって感じるのが嫌だったんやと思います。義足をとって人前に出るなんてできなかった。でも、アンプティのチームメイトが、『片足がないだけで、あとは同じじゃないの』って言ってくれて。それで吹っ切れたんですよね。そこから前向きな人生を送ることができるようになりました」と子どもたちに語りかけるように思いを伝えた。

その後、運動場で体験会を行う。まずはクラッチをついて動いてみる。パスをしてみる。「手のひら痛いなあ」「上げてる足がしんどいわ」「いつも両足やのに、左足使われへんかったら大変なんやね」など率直な子ども達。先生たちも混じってゲームを行い、ラストはPK戦。校長先生がキーパーを務めて川合さんがシュートという大団円を迎える。ファインダー越しにプレーする子どもたちを追っていた時、校舎から歌声が聞こえてきた。「友だちになるために 人は出会うんだよ どこのどんな人とも きっと分かりあえるさ」。ああ、こういうことだよな、と思いながら、懐かしく『ともだちになるために』を歌い、シャッターを押し続ける。「これから出会う たくさんの きみと きみと きみと きみと ともだち♪」

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