1962年、柴田勲氏とアドバイザー契約を結ぶ、「赤手袋の柴田」。

異名「赤手袋の柴田」誕生。
盗塁王を6度、通算盗塁579、通算安打2018、巨人史上最高のリードオフマンで知られる柴田選手は、ヘッドスライディング時の手の怪我防止の目的で走塁時に身につける、陸上選手などが使っていたものを応用したランニンググローブをSSKが提供した。それ以降、出塁すると必ず赤い手袋をつけ、「赤手袋」という異名をとることになった。

当時、バッティング時にグローブをつける選手はいなかったが、柴田のランニンググローブを契機として、バットと素手との摩擦係数を高める(バットのすべりを防止)ためや怪我の防止、防寒などの目的からバッティンググローブの使用がプロ野球で広まった。柴田のランニンググローブが、プロ野球におけるバッティンググローブの先駆けとなった。